バタバタと、いろいろなことが決まり、朝7時に家を出て、手術に。いろいろな意味で医療施設としては破格に「普通のおうち」のような場所を選んだこともあり、自分で歩き、自分のパジャマを着、そして術後麻酔で身動きが取れないときには夫の背中で床まで運んでもらう。点滴用のあのがらがらするものもなくて(ってこれで意味が通じるのかはなはだ不明だけれど)部屋ではコートハンガーが点滴用のフックに早代わりしていた。
病人のコスプレをしなくて良いのは良いことだ。私が私であることを剥ぎ取られる感覚がない。
麻酔は、実は効きづらい体質で、その上点滴のための血管も見つかりづらい体なので(そう、点滴を受けるたびに看護婦さんを泣かせている)今回も暖めたこんにゃくで腕自体を暖めて血管を浮き上がらせてからようやく!点滴が可能に。失敗2回。今までの経験からすると比較的よいのではないかと。

術後、小さな和室の小部屋で夫と麻酔の切れるのをずーっと待つ。時折他愛のないことを話したり、すうっと意識が真っ暗になったり。
と、小さな、規則的な声が耳についた。ああ、誰かが陣痛と向き合っている声だなあ、としばらくしてからようやく気づく。半分泣いているかのようだけれど、聞きようによってはまるでオペラの発声練習をしているかのようなきれいに伸びた声で、恐れも怒りも入っていない声。ああ、あの段階だ。あの、めちゃくちゃ痛くて下半身中の骨がみしみしいっている感じがするのに、それでも陣痛の波を声を出しながらきれいに息を吐くことでサーフィンするかのようにうまく乗り切れている、あの、感じ。痛いけれど夫や顔見知りの助産士さんに囲まれて安心しているのだろうなあ。
なんて思いながらうとうとしていたら、次に気づいたときには4歳ぐらいの女の子が部屋の外で、助産士さんと話しているのが聞こえてきた。
「あのね、赤ちゃんうまれて、うれしかったの!」
「そうかー!うれしいよね!」
「○○ちゃん、ね、赤ちゃんとあそんであげるの!」
「そうかー!まかせた!だっこしてくれる?」
「うん!」
あまりにも素直に喜んでいる様子が、うちの子供もそうだけれど、あの年齢の子供らしくて、思わずにこにこすると、隣で夫も目を細めていた。


ああ。私の子供が生まれなかった場所が、誰か他の子供が生まれた場所でよかった。なんというか、ずっと耐えられる。

帰り際、点滴で苦労した助産士さんにしみじみと、「吉野さん、絶対、絶対病気はなさらずに健康で暮らしてくださいね」と力説される。あ、そうかー(笑)


しかし、とにかく眠い。そして、おなかも痛い。