「本」

存じ上げていた優れた研究者の方が昨年末、夭逝された。その蔵書が希望者に配られるというので、出かける。
本がほしい、というよりも、非常に良くして頂いたので彼を思い出すよすがとして、2-3冊、小説でもいただいて帰ろうと思ったのだった。イギリスから帰ってきて日本の英文学の状況は右も左もわからなかった私に、ネット上での短い会話で知り合ってから、いろいろと仕事を持ってきてくださったり、人を紹介してくださったり。
最後に振られた仕事は、時間の関係でできなかったのだが、それも心残りだった。
19世紀はエドワード朝が本陣の私の研究分野に近いこともあるし、(自信をある程度持てるのは1880年代前後からだが)ディケンズでも一冊いただいて帰ろうと思ったのだった。

ところが研究室に着いたら奥様が「捨てるに忍びないから持って行ってください」と、おっしゃる。「彼の38年間の集積をみなさんが持っていってくださらないと廃棄するしかないのですから」と。「え、いや、その」などとしどろもどろになっているうちに段ボール箱が用意され、「さあさあさあ!」と。

結果。
研究室の本棚がそろそろ飽和状態。それより前に、目前に積み上げられた書籍をみて頭を抱える。
これも、これも、これも、全部彼は読んでいたのか!なんという分野の広さ。


さて、いただいた本を生かすも殺すも私次第。今度はがんばってこれを生かすべし。

ああ、しかし。もしも私に何かあったら、私の本もやはり、ほしい人にわけてほしい。書籍は読まれていかされてなんぼだ。
彼の蔵書を開けばすぐにいただいたものだとわかるように、主をなくした書籍にゴム印を押しながら、なんとはなしに、ため息をつく。38歳は若すぎる。