採点続く。後期は緩やかに点数付け。ていうか、前期指摘した部分ができるようになっている人がおおいので結果として後期の点数の方が上がっているのね。ちょっと嬉しい。前期はフィードバックを返さなくてはならない、という思いがあったから、かなり頑張ってコメントを返したのだ。書き直し課題の人びともそこそこ形になっておりホッとする。
多くの場合書き直しをせざるを得なくなる理由は、「サボっているから」ではなく論述が何だかわかっていないから、だ。などと思いつつ。
採点はまだまだ続く。微熱も。


大学で書く文章は圧倒的に、実用的な文章だ。
それが論述問題の答えであれ、レポートであれ。
それは「私」を表現するための芸術的な文章なんかではない。
就職活動中の学生がスーツを着るように、レポートにはかなりきっちりと構成が求められ、脚注が求められ、一見見た目はそっくりに揃えられているのに、やはり隠しきれない努力の跡だのなんだのがあって、レポートや論述試験はカチカチと点数分けされて行く。

であるにもかかわらず、大学に入るまでの文章訓練は圧倒的に情緒的だ。「私はこんな気がしてならない」と書くことが許されてしまう世界。だから、時々、「レポート」の山の中に自己吐露としか取れない文章が紛れ込む。
それがどれだけ心をうつ文章でも、申し訳ないけれど、そのレポートは「再提出」だ。
その文章が劣っているから、ではない。
規格外だから、だ。
どんなにシェークスピアソネットに心打たれて人生観が変わっても、「感受性」だの「芸術性」だのでしか測れないような答案に点数をつけられるほど優れたモノサシを私は持っていない。それはそういう場所で測ってもらってください。