日本学術振興会「人文・社会科学振興のためのプロジェクト」研究領域V-1「伝統と越境――とどまる力と越え行く流れのインタラクション」第2グループ「越境と多文化」ワークショップ 若手研究者育成プログラム2「『声』とモダニティの転移――民衆・文化・共同体」於 立教大学ここもご参照のほど。

朝方、必死でもう少しパワポに映像を詰め込もう、などとしていたら、父から電話。「送るよー?」
それはありがたかったのだが、電話で息子が目を覚ましてしまい、大泣きしたので、そこでパワポ編集作業は中断。実際に行かねばならない時間(想定していた出発時間)よりも30分ほど早かったので恨めしく思いつつ、(←身勝手な娘である。ごめんね、お父さん。)池袋へ向かう。ふと気づいたのだが、立教大学に足を踏み入れるのは大学入試のとき以来だった。あの時は文学部文Bという奇妙な入試があって(今でもあるのかな?)それを受けたのだった。

今回の会は学際的な集まりだったので、そういう意味では何をどのように話すか、の設定が非常に難しかった。刺激的ではある。

花田愛「Dos Passosのオーラリティ――"Speech of the people"としてのUSA
アメリカにおける30年代前後の「フォークロア」蒐集のような話。しかしニューディール政策の一環として文化事業が行われていたのは不勉強で知らなかったし、そのあたりも面白い。そして、いかに「フォーク」なるものが声の集合体としてUSAに描かれているか。その政治的な意味、などなど。

井上正子「ハーレム・ルネッサンスとハイチ---ゾラ・ニール・ハーストンを中心に」
ゾラ・ニール・ハーストンについては、不勉強ながら今回初めて学ぶ。人類学を学んだ黒人女性のハイチ民俗の表象。その言動の二重性。個人的には、やはり祭祀に対するまなざしが面白い。

第二部はイギリス編。
私が一人「エドワード朝歴史パジェント―<フォークなるもの>を売る」ということで、1905-1911くらいを扱う。今回のテーマはパジェントの商業性。裏腹にあったフォークロア的、有機的なコミュニティへの欲望。まあ、あれですよ。最近ウィリアム・モリスのカーテンを買おうと思って値段を調べたら非常に高価で愕然としたんですが、そういう感じの話。単なる自分のうらみつらみ?

河野真太郎「自己-民俗誌的作家としてのヴァージニア・ウルフ──階級・帝国・英国」
ウルフの遺作『Between the Actsを中心にエリオットであるとかベンヤミンであるとか。そこに見られる「人類学的なもの」であるとか。パジェントを扱ったウルフのこの小説は私がパジェントを調べ始めるきっかけにもなったもので、論文を書いた後の今でも、あれをどう読むべきなのかは、私としては良くわかっていない(苦笑)ファシズムモダニズムの危ういくらいの近しさであるとか。などなど。

アメリカのパジェントについては以下の2冊が詳しい。アメリカ19世紀に見られる独立記念日の催し物はしばしばアナクロにスティックに「パジェント」と呼ばれるのだけれど、どんどん商業化されていく催し物を何とか教育的なものへひきもどす契機としてイギリスからの「パジェント」がひとつのモデルとして使われた、という見方を確か二人ともしていたような…。
アメリカは、非常に大切でありながら、少々分野外だったので、この2冊の記憶を頼りに前半部の話を聞く。ハーレム・ルネッサンスにおけるDuboisのパジェントの使い方なんかも論文が出ていたよな、などと思いつつ。

American Historical Pageantry: The Uses of Tradition in the Early 20th Century

American Historical Pageantry: The Uses of Tradition in the Early 20th Century

American Pageantry: A Movement for Art and Democracy (THEATRE AND DRAMATIC STUDIES)

American Pageantry: A Movement for Art and Democracy (THEATRE AND DRAMATIC STUDIES)

懇親会。珍しく参加する。

まあ、そういうわけでこう、フォークロア的なものの使われ方を見るたびに、なぜ純情な日本の高校生だった私にマイムマイムだの、コロブチカだの、オクラホマミキサーだのの記憶があれほど鮮烈にあるのか、奇妙な気がするわけだ。日本の学校教育にフォークダンスが使われ始めたのはいつごろ?戦後だよね?おそらくは。
でもって、そういえばイスラエルにおけるフォークダンスの使われ方が面白いっていう話を誰かに聞いたなあ、そりゃあ、面白いだろうなあ、などと帰りの電車でしみじみ考える。今回はフォークなものの「声」だったのだけれど身体性も見過ごせない。

さて、今週末までに教科書あと2章書かないと。