「●●な〜〜が、増えている」という言説
ジャーナリズムは「○○な〜〜が、増えている」という文の形が好きだ。「給食費の未払いが増えている」「ニートが増えている」のように。ヴァリエーションとしては「○○が〜〜化している」なんていうのもあげられる。「大学教員がサラリーマン化している」とか。*1
前にもちょっと書いたけれど、給食費の不払いが増えているかどうか、は、わからないし、「〜化」であっても、通常、きちんとした定義も裏づけもないことのほうが多い。
「ていうか、そうしないと記事にならないじゃん」と、ジャーナリストであるところの夫は言う。それはわかる。あれだけ短い時間であれだけ文章を産出し、なおかつニュースバリューも、なんていうとそうなるだろう。そもそも論文と新聞記事は目的も形式も違うので別にそれが「悪い」と一概に言っているわけではない。
しかしだ。「小論文」であっても一応「論文」と名前をつけている以上、その手の表現を裏付けなく使うことはできないわけよね?
年度末、色々昨年度の仕事を振り返って、教科書原稿にあちらこちら訂正を入れていると、いかに「文章を書く」という行動が「文章を読む」という行動と密接にかかわっているのか、ひしひしとわかって頭を抱える。批判的に読むことと論理的に書くことの間を、はてさて、教科書は埋めることができるのかどうか。*2