研究倫理
- 作者: 村松秀
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2006/09/01
- メディア: 新書
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こうした基礎的な「良心」の問題は、やはり大学、及び大学院レベルで学ぶべきものだし、はてさて、そうなると、大学で研究し、教えるものの日々の仕事はとても重要なのだなあ。
著者村松氏は捏造をおこした要素のひとつとして「ミスに寛容な土壌」をあげているが、これはある意味学問をやっていく上で当然のことのようにも思われる。ひとつのデータ、あるいは解釈をもとに「あーでもない、こーでもない」と議論し、調査し、確認し、蓋然性の高い答えにたどり着こうとするのが研究であるとすれば、全ての論文にまったくミスがない、と考えることはどうも現実的ではない。いや、もちろん、ミスのないように書くべく努力はするのだが。(なによりもあまりにも基礎的なミスだと突っ込み論文を書かれてしまいそうでいやだし)
しかし、それはそれとしておいておいても、そもそも論文を書いていて自分でもひやっとした経験を持たない人間なんていないだろう。
それは英文学のように科学とはまったく無縁の(ようにみえる)分野の人間にとっても同じだ。私は博士論文提出前日位に自分の書いた論文の脚注に全然確信がもてなくなり、つわりの最中にケンブリッジ大学図書館の階段をえっちらおっちら登ったし、今でも時々、「博士論文を読み返していたら信じられないような初歩的な間違いを発見する」という悪夢を見る。*1
納豆でやせる程度の捏造でも、あれだけの人間が振り回される。だまされて買ってしまったお人にはやはり「メディア・リテラシーをもうちょっと・・・ね?」とは思うものの、やはり責められるべきは捏造をした人々ですよ。
*1:ちなみに、先週、講義を終えた直後は、「ハリウッドの歴史というタイトルで講義をすることになっていることを講義開始5分前に伝えられて真っ青になる夢」をみてうなされた。どうやら悪夢も多少成長しているらしい。