My Year of Living Biblically

これもまた細切れ時間に読んでいた軽い読み物。 Year of Living Biblically: One Man's Humble Quest to Follow the Bible as Literally as Possible
数年前話題になっていた時には興味がまったくなかったのだが、不可知論者のユダヤ人がヘブライ語聖書、新約聖書にきっちりとのっとって生活をしてみる、という試みを書いたこの本。聖書がその成立した時代の人々の世界観や規律を反映している以上、それが現在持ち込まれた時、様々な齟齬が出てくるのは当然で、そのようなものを面白おかしく書いてみて何になるのだろう、と読む前は思っていたのだった。
最初の想定とは異なり、かなり意識的にアメリカ国内のファンダメンタリズムを横目で見ながら、聖書と言う古い書物に向き合った経験談になっている。それなりにジャーナリストとしての取材の仕事もなされてあり、読み応えがある。ただし、ユダヤ人としてのスタンスで書いているのでヘブライ語聖書(旧約聖書)の教えが中心。
私にとって意外だったのは、「こんな馬鹿げた規則があるのですよ、わはは」に留まらない、ある種の生真面目さが見て取れたところで、それが、一歩間違えると極めて薄っぺらくなりがちな試みを面白いものにしている。NYのユダヤ人コミュニティの様子がなんとなく伺い知れるところも、アメリカ文化に疎い私には面白かった。


ちなみに、生理中の女性に触れてはならない、生理中の女性の座った椅子にも座ってはならない、とする戒律に憤然とした著者の妻が、家中の椅子に座ってまわった下りでは思わず吹き出した。

聖書男(バイブルマン)  現代NYで 「聖書の教え」を忠実に守ってみた1年間日記

聖書男(バイブルマン) 現代NYで 「聖書の教え」を忠実に守ってみた1年間日記

アーサー王物語

二つの意味で個人的に思い入れのある書籍を読み返している。幼い頃、非常に読みたかったのだけれどなぜか読む機会がなかった本。本には出会った時期がとても大きく意味を持つものがあって、アーサー王物語は確実に早い時期に親しむべき物語の一つのように思われる。ナルニアシリーズも、なぜか地元の書店にも図書館にもなく、手にして読んだのが高校生だった事を私はかなり残念に思っている。
もう一つ悔やまれるのはようやく手にした非常に美しい装丁のこの本を日本を離れるときPDFに変えなければならなかったということ。2004−2007年出版だからさして古いものではないのに、今では絶版のようで古書として大変な値段がついているシリーズ。ビアズレーの挿絵500点を含んだこの5冊をそのままの形で手元に置いておけなかったのはとても悲しいことだ。

アーサー王物語における性の感覚は確実に現代のものとも、ヴィクトリア朝のものともかけ離れていて、わかっていても読み返していて驚く。一つ一つの騎士たちの冒険や物語は非常に短いので隙間時間にちょこちょこと読み続けているのだが、三角関係、美しい乙女たち、気高い騎士たちといったモチーフが繰り返され、繰り返しの中に緩やかに全体像が浮き上がってくるので案外こうした読み方に向いた物語ではある。前回はまったく気づかなかったのだが、今回はケイ卿の嫌な奴っぷりが印象的。

ちなみにアーサー、と言う名前は、今の耳にはそのままではかなり古くさく聞こえる。(ArtieであるとかArtであるとかいう愛称になると別だけれど)
The Baby Name Wizardというサイトがあってアメリカに於ける名前の人気の趨勢を教えてくれるのだけれど、それによるとピークは1880年代。グラフを見ると感覚がつかめるのではないかと思う。


アーサー王物語〈1〉

アーサー王物語〈1〉

退職のご報告

今年の9月をもってお世話になった職場を退職いたしました。
研究者として人としても優れた先輩、同僚の先生方に囲まれ、色々と学ぶ事の多い職場でした。
まだまだ恩返しも何もできぬまま、ご迷惑をおかけする形になってしまったこと、とにかく心苦しい限りです。


幸い下の子の体調は回復の兆しがあり、イギリスで新しい生活を築く事になりそうです。

ご報告、お詫び、そして何よりもお礼までに。

看護休職など

今年の四月に、1歳になる下の子供が心不全を起こしました。心臓の不調による喘ぎと咳を、喘息と誤診され悪化した結果、緊急入院、二度の心臓手術を経て、ようやく一命を取り留めました。
前期の特に初期、担当した講義の学生さんには「急な休講があるかもしれません」とお伝えしましたが、「この子が生き延びる可能性はどのくらいあるのですか?」と尋ねても、「最善を尽くします」としか答えてもらえないような時期、「いつ手術の同意が必要になるかわかりませんから、呼んだらすぐに書類にサインをしに病院に来てください」と言われている時期と、前期の始まりの最も忙しい時期が重なったのでした。
集中治療室で1歳の子供が意識のないまま2ヶ月も眠っているのを見続けるのはただただ苦しく、さして何もしておらず、横に座って指先を握っているだけなのに、なぜこんなに疲れるのか、と毎晩次の日の授業の準備を終えるとぐったりしたものでした。それでも、ありがたいことに、今、子供は笑ったり動いたりすることが普通にできる状態で私たちの手元にいます。5歳までの生存率は日本のお医者さんによると4割(もっともおそらく今は薬が発達してきているので、もう少し高いだろうとのこと)、イギリスのお医者さんによると6割ということで、決して楽観できるものではありませんが、とにかく今、彼が私たちと一緒にいる時間を与えられたことに感謝しています。

今回のことでは本当に多くの方に支えていただきました。
失敗率が20%の手術を無事に成功させ、その後もこまめなケアで子供の命を救ってくれた病院のスタッフには感謝の言葉もありません。
様々に支えてくださった同僚の先生方、学会の運営でご迷惑をおかけすることになってしまった先生方にも、お詫びと感謝を伝えたく思います。今年はいただいた産休の分、ご恩返しをする年になるはずでした。本当にごめんなさい。
そして最後になってしまいますが、前期の間、授業を受けてくれた学生さん達にも感謝します。やる気のある学生さんの多いクラスに恵まれました。家族が生死の狭間をさまよっている緊迫した状況の中でも、あるいは、だからこそ、教場が刺激的な場所であったことに救われていたように思います。


さて、詳しいことはおいておきますが、後期からは看護休職をとらせていただくことになりました。
すべての授業の担当の先生をご紹介することはいたしませんが、ゼミは出産休職の時にご担当いただいた松永典子先生にお願いいたしました。
休職願いを出したのがまだ子供の意識が戻るか戻らないかという時期だったので後期一杯で書類は提出してありますが、延長願いを出す可能性も多くあり、先のことはわかりません。また、最終的に移植まで視野にいれた小児の心臓治療は日本では限界があるということで、現在治療のためイギリスに来ています。色々と環境が整っておらず、メールのお返事等、滞りがちになってしまっていますが、ご海容ください。

キリスト教関連を何冊か

なんでもわかるキリスト教大事典 (朝日文庫)

なんでもわかるキリスト教大事典 (朝日文庫)

これは必携。特に役に立つのが各教派についての簡単な説明で、教派ごとのタームの日本語訳など非常に丁寧。(ちなみに宗派、は仏教の場合で、キリスト教の場合は「教派」)

愛蔵版 イエス

愛蔵版 イエス

漫画版。脚色は入っているものの、歴史としてイエスの死をえがこうとしているもので、(ただし語り手は虚構の「イエスに愛された弟子」)学生さんにはとっつきやすいかもしれない。オールカラー。

隣人愛のはじまり―聖書学的考察 (シリーズ神学への船出)

隣人愛のはじまり―聖書学的考察 (シリーズ神学への船出)

題名から多少警戒していたのだけれど、それは聖書学をよく知らぬがゆえだったと読み始めてすぐに反省。面白かった。

そして愛敵を語ったイエスの意図―隣人愛が持つ限定性への批判―は伝わらず、むしろ「敵をも愛する隣人愛」という仕方で、隣人愛の徹底として愛敵が受け止められたことを示している。
 この理解は、イエス自身の意図とは合致していない。その意味では、イエスの言葉を「誤解」したものだと言える。イエスにとって「愛敵」は、隣人愛が無言のうちに前提している排他性(どこまでが、愛するべき隣人の範疇なのかを問題にしてしまう意識)を暴く、批判的視点の表現であった。だがそれが、「教祖」イエスの言葉、キリスト教徒が従うべき教えとして受け止められるようになった時、イエスの意図を超えた意味を獲得し(てしまっ)たのである。  (96)

「イエスはあくまで隣人愛の唱道者ではなく、批判者」(159)という理解に基づいて、パウロ以降の隣人愛概念がどのように機能したか、を著者は以下のように語る。

[...]敵をも愛する隣人愛によってキリスト教の普遍性を裏付けたはずのパウロは、隣人愛の持つもう一つの側面、すなわち共同体内部のアイデンティティ強化という働きをも、期せずして受け継ぐことになる。ユダヤ人/異邦人という境界線は確かに、もはやパウロにはなかった。しかし、教会共同体をつくり上げることに熱心だったパウロにとっては、教会内部の人間関係を強化することが重大な関心事であり、そのため、隣人愛はもっぱら教会内部の「兄弟愛」として具体化されることになったのである。(162)

キリスト教は、その再初期から、イエス自身に由来しない多くの要素を含んだ宗教運動であった。なぜなら、キリスト教徒はその出発点からすでに、エスの教えを伝える宗教ではなく、エスの出来事を解釈する宗教だったからである。(172)[太字は原典では傍点]

重要なのは、愛敵を実現できるかどうかではない。「敵をこそ愛するべきではないか」という、現実離れした要求は、他者を隣人と敵、愛せる人間とそうでない人間とに分ける姿勢を批判的に浮き彫りにする逆説なのである。(178)


Thirsty For God: A Brief History Of Christian Spirituality

Thirsty For God: A Brief History Of Christian Spirituality

キリスト教史、といってもスピリチュアリティという切り口での入門書。
幾つかはじめて納得することもあり、面白かったのだが、フェミニズム神学の部分のみは、読んでいて納得が行かない感が。門外漢であってもきいたことがあるようなレズビアン神学者が入っておらず、フェミニスト神学の内容量と比べるとかなりの部分それに対するバックラッシュの紹介にさかれているような。
ひとつ面白かったのがラビリンス運動。中世のキリスト教において行き止まりのあるメイズと比べ、基本的には一本線で中心に向かい、やがて外に向かっていくラビリンスは信仰のメタファーとして、歩く瞑想のために用いられた、というのはかつてどこかで聞いたことがあったのだが、ここで初めてその「伝統」の再興が80年代の運動にあると知る。

職場にて仕事。4月のTLSが出てくる。産休中のTLSが職場に溜まっており、時々、変なところから出てくるのだ。

目が止まったのがエレン・テリーの書簡集の書評。John Stokes.4月1日号。まるまる一年前。

The Collected Letters of Ellen Terry, Volume 1 (The Pickering Masters)

The Collected Letters of Ellen Terry, Volume 1 (The Pickering Masters)

The Collected Letters of Ellen Terry, Volume 2 (The Pickering Masters)

The Collected Letters of Ellen Terry, Volume 2 (The Pickering Masters)

これがMichael Holroyd, A Strange Eventful HistoryとNina AuerbachのEllen Terryと組み合わせて紹介してある。後者はテリーの独特の書簡文体に"a feminist virtue"を読み込んでいると。
Ellen Terry, Player in Her Time (New Cultural Studies)

Ellen Terry, Player in Her Time (New Cultural Studies)

とりあえず集めたのがスゴイ。脚注はまだまだ、という評価。しかもインデックスがない、と。

Even when the notes do contain relevant facts they can be confusing, since one and the same person may have two or more separate biographical entries, each augmenting and sometimes even contradicting the other.

ただこのあたりは出版社側の問題なのではないかという指摘。